萩城堀内に(古)明倫館は毛利吉元が享保3年(1718)に創建しました。嘉永2年(1849)に毛利敬親が萩城下町のほぼ中央にあたる江向に防長両国の最高学府として(新)明倫館を重建しました。文久3年(1863)、藩主敬親が藩庁を山口に移すとともに山口明倫館とよび、萩の学館を萩明倫館と改称し、文学科だけを存置して文学寮と称し文学寮御用掛としたときが慶応3年(1867)で、この時をもって藩校としての明倫館は幕を閉じました。さらに明治5年(1872)、この文学寮を萩中学校と改称するに及び、創建以来150年の伝統をもつ明倫館は藩校として没しました。明倫小学校は、明治5年(1872)学制頒布に伴い萩の三角州に開校した小学校10校をその前身としますが、その源流をたどれば藩校明倫館に至ると考えられます。明治18年(1885)7月27日、川内の諸小学校を合併し、明倫小学校と称した時が創立とされます。昭和10年10月10日午前10時に木造校舎の落成式が行われ平成26年(2014)3月31日までの130年にわたって地域の子どもたちと共に歴史を重ねてきました。平成26年4月1日に明倫小学校が新校舎に移転したのち、旧明倫小学校の木造校舎は、観光施設起点 萩・明倫学舎として整備され現在に至っています。
参考文献 : 明倫小学校百年